冒頭、新宿駅のホーム。何十人もの女子高生が、手をつないでいっせいに飛び込み自殺する。飛び散る大量の血しぶき、肉片。

このナンセンスな演出が、『自殺サークル』という映画を象徴している。とにかく、ただひたすら観客を不快な気分にさせるという目的のために、すべてが注ぎこまれた映画だ。

加えて作品全体から感じられるのは、若者文化、とりわけ90年代後半以降のトレンドに対する、強烈な憎悪である(そうでないというなら、これほどまで露悪的に描く必要がない)。

劇中に登場する「デザート」なるアイドル・グループの歌は、ただガチャガチャと騒々しく、二度と耳にしたいとは思わないような駄曲である。ローリーらが繰り広げる学芸会芝居も、本人たちが盛り上がる一方で、こちら側にはちっとも楽しさが伝わってこない。

U15アイドル、“シュール系”芸人、「エヴァの最終回」じみた心理劇――いずれも、同じ波長を有する者たちだけが盛り上がって、そうでない者からすれば 何が面白いのかさっぱりわからないものばかり。監督の園子温は、そんな閉じられた世界を、思いっきり醜く、奇怪なものとして描いた。

が、そのような低次元の表現を監督自身が何の工夫もなく羅列した結果、作品自体もたんなる「出来損ないの映画」に堕してしまった。これでは《狂人の真似をして街中を走り回る者は狂人である》という兼好法師の言葉そのものではないか。じっさい石橋凌や永瀬正敏といったベテランを起用しておきながら、何の見せ場も与えずに使い捨てているのも、奇を衒うあまり演出力の貧しさを露呈しているだけだ。

(2015年5月6日 加筆修正)