★★★★

100円ショップの「ダイソー」が315円(税込)で販売していた、ホラー映画シリーズの3作目にして最終作。

今回の主演は衛藤美菜。

ちなみに、シリーズのエンディング・テーマ『夢幻絶唱』も、衛藤が歌っている。

なんかものすごく気負ったタイトルの割には、こぢんまりとした爽やかな曲であるが、耳あたりは良い。

歌手としての衛藤は、声量もなく、音程も不安定で、まぁ、はっきり言って音痴なのだが、

曲の儚げな雰囲気には合っているから、これはこれで悪くない。

監督は、前2作同様、神野太。

しかし、これまでは脚本も神野監督が書いていたけれど、本作では、これやす弥生という人物が手がけている。

そのためか『終ワラヌ』は、サイコ・ホラーの定型を踏襲していた前2作とは打って変わって、実験的というか、かなりエキセントリックな作風に仕上がっている。

* * *

イジメられっ子の転校生と、イジメっ子の側にいる主人公が、

夢を通して互いの感情を共有する、といった内容。

ストーリーらしきストーリーはなく、まるで白昼夢のように、とりとめのないシーンが続いていく。

原色を強調したキッチュな映像処理は、なんだか駄菓子屋で売っている得体の知れないジュースみたい。

アイドルのイメージビデオでよく使われるような、妙に軽快なBGMが全編を通して流れ、現実感をより希薄なものにしていく。

しかし、それは罠なのだ。

便所で、イジメっ子たちが、イジメられっ子にバケツでバチャバチャと水をぶっかける陰惨なシーンでも『G線上のアリア』が明るく鳴り響く。

主人公自身はイジメに加わらず、その悲惨な姿を、涙堪えながら見つめる。

しかし、イジメを止めようとはしない。

なぜなら、そのイジメられっ子は、自分たちが恋焦がれる少年に接近し、その報復を受けているのだから。

しかし、じつは主人公自身も、友人たちに内緒で「抜け駆け」をしていたのだ。

もしイジメを止めたら、その矛先が自分に向かうだろう――

いたたまれなくなり、叫び出す主人公。

呆気にとられるイジメっ子たちの隙をついて、イジメられっ子が逃げ出す。

主人公は、どこまでも彼女を追いかける。

学校を抜け出し、町中を駆けめぐり、二人はいつしか、建物の屋上にいた。

毒々しい、緑色の空の下、意を決したイジメられっ子が、主人公に訴える。

「イジメっ子より、あなたのほうが怖い。いつも、何も感じないような顔をして、ただ見てるだけ……」

そう、直接手を汚さないからといって、イジメに加担していない、などということにはならない。

いや、自分だけ安全な場所にいて傍観することの方が、はるかに卑怯で残酷なのである。

次の日、学校に行くと、イジメられっ子の机に花瓶が置いてある。

昨日の夜に死んだのだという。イジメを苦にして自殺したのかもしれない。

主人公はこれまで、夢を通して、イジメられっ子の辛い気持ちを体感してきた。

もし、これが夢なのだとしたら……死ぬのは自分だ!

眠りに落ちないようにと、精力剤を飲みまくったあげく、夢遊病者のように夜の町を彷徨う主人公。

やがて、朝が明ける。

――と、場面は突然、主人公の部屋に切り替わる。

ベッドで眠る主人公。そう、すべては夢だった――。

死は、彼女に訪れるだろう。

非情なまでに、激しく照り輝く太陽を映して、物語は幕を下ろす。

衛藤美菜の演技は、その歌声同様、幼さを感じさせる。

しかし、それゆえに、未熟な少女の心情を、作為なく体現している。

加えて、主人公の心情吐露をいちいちテロップにして出す演出も、なんだかアートかぶれの映画マニアが作ったみたいで苦笑してしまうが、作品のキッチュな雰囲気に合っていると言えなくもない。

『頭狂23区外 終ワラヌ』は、思春期の少女だけが内に秘める繊細さ、そして残酷さを浮き彫りにした、痛烈な作品であった。