自称「ビジュアリスト」、手塚眞の短編映画。

同年に発表した『白痴』同様、ヒロインを橋本麗香が演じる。対する主人公は、永瀬正敏。ちなみに、『白痴』で主演した浅野忠信とは、この当時、何かにつけて引き合いに出して語られ、二人まとめて「雰囲気俳優」と呼ばれていた記憶がある。

主人公はカメラマン。ある日、彼の元に映画制作の依頼が舞い込む。

一週間の期日で、朽ち果てた洋館を舞台に、一人の少女をモデルにした映画を作ってほしいのだという。

しかし、このカメラマン、どう見ても素人だ。手つきからしてカメラの扱いには慣れているみたいだが、被写体となる少女とは初対面だというのに、コミュニケーションを取ろうとは一切しない。挨拶や自己紹介すらせず、いきなり接近し、無神経にパシャパシャ撮りまくる。

当然、少女からは露骨に嫌な顔をされるが、それでもいっこうにお構いなし。しまいに彼女は撮られることを拒絶してしまい、もう洋館に来なくなってしまう。

主人公が、テーブルの上に用意された無数のカメラを、凶器と錯覚してしまうという件がある。フィルターを通すことで、被写体が意志を持った生身の人間だということを忘れ、「モノ」としてしか認識できなくなる。この映画はタイトルのとおり、あらかじめストーリーを決めずにアドリブで作らるという“実験”を試みているが、それでも《コミュニケーションの不全》というテーマが自ずと生じている。

ところが、少女は何の気まぐれか、けっきょく洋館に戻ってくる。ここで、男と少女の立場が逆転する。あたかも自分がされたのと同じように、今度は少女が男を撮りまくる。

その後、どういうわけだか二人は和解し、映画は完成する。そこに収められていたのは、少女の無邪気な笑顔だった。

いくらイメージ主体の作品とはいえ、ご都合主義にもほどがある。なぜ少女が、こんな不快きわまりない男を受け入れたのか。その過程が描かれないかぎり、二人の和解は感動をもたらさない。

もっともこの映画には、男の妄想の中で、少女が男を誘惑したり暴行したりするシーンが出てくる。それなら、この虫のいい結末も、けっきょく男の妄想なのかもしれない。

だが、いずれにせよ、登場人物が(依頼人の黒人を除いて)たった二人しかいないというのに、そのどちらにもまったく感情移入できないのでは、たとえ約40分しかない短編とはいえ間が持たない。『白痴』のように戦争がどうのと大上段に振りかざさず、こじんまりとしたシチュエーションの中で展開するぶんだけ、まだ作品としてはまとまっているが、監督のマスターベーションに終始している点では同じである。

ところで、本作に対するネット上のレビューを見て回ったら《橋本麗香の演技力が著しく向上した》などと書かれていて、苦笑いする。

“向上”などしていない。『白痴』の時点で、橋本はじゅうぶん表現力豊かな女優だった。それでも違って見えるのだとしたら、【銀河】のエキセントリックなキャラクターに惑わされ、橋本自身の演技力を客観的に評価することのできなかった、評者の鑑賞眼のなさゆえであろう。