原作は、つのだじろうのホラー漫画。劇中の主人公が原作を読むことで、その内容と同じ怪現象が身の回りに起こる、という筋書きになっている。読んだ本の内容が現実化するというパターン自体はありがちだけれど、実在する本、それも原作が、そのまま劇中に登場するケースは珍しい。

しかし、そのせいで、どうも手前味噌というか、内輪ノリっぽい感じが否めないのだ。つのだ自身が本人の役で出演しているのも、白々しさに拍車をかける。

物語の舞台となるのは、夏休み中の高校。両親が離婚調停中のため、家庭に安らぎを見いだせない主人公は、学校に居場所を求める。

主人公が心を寄せるのは、彼女をモデルに写真を撮りたがる、写真部員の親友と、いつも一人で図書館にいる、憧れの上級生。ともに同性ということで、百合的なムードも感じられる。

ある日、主人公は、上級生から一冊の漫画本を借りる。それこそが、つのだじろうの『亡霊学級』だった。

しかし、その本を読み出してからというもの、漫画の中の出来事が、現実で起こり始める。

いたるところで虫の幻覚が見え始める。プールで泳げば、足に長い髪が絡みつく。あげくのはてには、上級生の態度が何かに取り憑かれたかのように豹変してしまった。

とはいえ、これらの「怪現象」を見ることができるのは、主人公だけである。夏休みのため生徒がほとんどいないので、上級生は主人公としか会話しないのだ。この時点では、考えようによっては、彼女の不安定な精神状態が生み出した妄想とも解釈できた。

ある日の午後、補修の授業中、主人公は幽霊に襲われ、失神する。

親友は主人公を介抱する最中、彼女のノートに書かれた見知らぬ女性の名前に気付いた。

親友がその名前を探っていくうちに、なんと写真部のOBであることに行き当たる。

そこで、当時の部長に連絡を取ると、驚くべき真相が判明した。

件の少女は部長に恋していたが振られてしまい、そのショックのため、校内で自殺を遂げていたのだ。

しかし、その事実を知った直後、親友は少女の亡霊に襲われ、殺されてしまう。

すなわち一連の怪奇現象の原因は、つのだじろうの漫画にあるわけではなかった。漫画は、舞台装置の一つにすぎなかったのだ。また、主人公の妄想でもなかった。

かけがえのない友人たちを、人外の者に奪われた主人公。怒りのあまり、夜の学校へと乗り込んだ。

彼女の前に現れたのは、少女の霊に操られた上級生。そこへ、かつての写真部部長が飛び込んでくる。

これで少女の霊は成仏したかに見えた。ところが今度は、闇の奥から数知れぬ亡霊の群が現れ、主人公たちを取り巻く。自殺した少女と同様、この学校には無数の念が染みつき、悪霊となって災いをなしてきたのだ。

やがて主人公は、亡霊の群に追いつめられる。しかし、彼女は逃げることをやめた。もはや、家庭にも学校にも居場所はないのだ。それならいっそのこと、自分も「群」に加わったほうがいい──。

物語の途中までは、主人公の息詰まる日常生活と、心霊写真の真偽を突き止めるべく奔走する男の様子を、交互に描いていく。当初、なんの接点もないように見えた二人が、自殺した少女の存在を介してつながるというプロットは興味を惹く。

だが、恐怖体験の原因を、ホラー漫画、主人公の妄想、少女の自殺など、複数のパターンで提示したのは失敗だった。どれもそれなりに説得力があるため、作品のテーマ(それは同時に“怖がらせどころ”でもある)が、かえって曖昧になってしまったのである。

またドラマ自体も、途中までは派手な恐怖演出を抑え、主人公の抱える孤独に焦点を当てて、こぢんまりとした青春映画に仕上げていた。だから、終盤にさしかかって、いきなり「敵」がスケール・アップするのには違和感を覚える。

《恐怖体験を通して成長する》という、学園青春ホラーの定石を否定した、ダウナーで不健全なオチは面白い。しかし、観客のボルテージを引き上げることができないようでは、せっかくのオチも取って付けたようにしか思えない。

監督の鶴田法男は、『ほんとにあった怖い話』や『戦慄のムー体験』といった、実話ベースの短編オムニバス作品で知られており、当然、それらの中には『亡霊学級』同様、学校を舞台にしたものも含まれている。とはいえ、79分という中編作品の制作には不慣れだったのか。さながら時間稼ぎのために、アイディアを詰め込みすぎたという印象である。