パラレル・ワールドを題材にしたSFホラーで、いちおう伊藤潤二の漫画を原作としている。読んでいないので比較できないが、少なくともこの映画版に『富江』や『うずまき』のような猟奇色はない。

一つ言えるのは、もし伊藤潤二原作という前提がなければ、こんなに古臭くて退屈な作品が世に出ることはなかっただろう、ということである。

「押切」とは、主人公の高校生の名字。もう一つの世界に住む自分が、この世界にやってきて悪事を働く――なんていう筋書きは、あまりにも使い古されているし、かといってそこに独自の視点を盛り込むなどの工夫も見られない。もちろん、怖くもない。斧や棺桶といった小道具は、まるでバラエティ・ショップで揃えてきたような安っぽさ。

主演の徳山秀典をはじめ、若手の役者たちは揃いも揃ってわざとらしい芝居が鼻につく。ヒロインの初音映莉子は、デビュー作『うずまき』に較べたら台詞廻しがスムーズになっているものの、取り立てて魅力も感じない。こういう人を「大根役者」と呼ぶのだ。

それなのに、この『押切 劇場版』。意外にマニアからの評判が良かったりするのだからよくわからない。

この映画を誉めている某サイトによると、なんでも、かつてNHKで深夜に放映されていた、「少年ドラマ・シリーズ」とやらを連想させるんだとか。セットや演技が学芸会レベルなのも、懐かしさをそそるらしい。

ま、早い話がたんなるノスタルジーってことですな。

ノスタルジーで映画を作るのが悪いとは言わないし、そのために人気マンガ家の作品を利用するのも、喜ぶ人がいるんならいいんじゃないの。

でもそれなら、せめて定石を覆すような捻りを加えるなり、もしくは定石に新たな意味付けを与えるなりといった工夫をしなきゃあ。ただカビの生えた感性をそのまんまで出されても「ちゃっちいなぁ」「素人臭ぇなぁ」というマイナス面しか印象に残らない。

なお、主人公の祖父にあたるマッド・サイエンティストの役に、怪奇ドラマの常連俳優、天本英世を起用している。これもノスタルジーに訴える戦略の一環であろうが、若手陣の力量不足をかえって強調する結果となってしまい、はっきり言って彼だけがものすごく浮いている。