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千葉県立幕張総合高等学校の自主制作映画サークル「芸術家族ラチメリア・カルムナエ(通称ラチカル)」が、2007年に発表した作品。その“感動的”な内容から、当時はメディアでけっこう話題になっていた。

元々は、授業で流す「道徳ビデオ」として制作されたという。それを学生による短編映画のコンクールに送ってみたところ(規定の上映時間をオーバーしていたために選外となったものの)結果的に一人の審査員の心を動かし、彼が経営する短編専門の映画館「トリウッド」(東京都世田谷区)で上映される運びとなった。

じつは私の職場近くにあるコンビニで「ラチカル」のメンバーの一人がバイトしていて、店内に本作のポスターが貼ってあった。フードコートで弁当を食いながら、どうしても気になってしまう。

公開初日の1月4日に足を運んだ。新聞や雑誌で取り上げられたこともあり、学校の教室くらいしかない場内は、ほぼ満席だった(各回の上映後には、出演者とスタッフによる舞台挨拶も行なわれた)。

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なるほど、これは高校生にしか作れない映画だ、と思った。言い方を変えれば、高校生だからこそ許される映画、ということ。

強引なギャグに加え、気負いすぎた台詞、そして大げさな芝居。こういった、通常の商業作品ではマイナスとなる要素すら、あまり気にならない。むしろ、微笑ましく思えてしまう。もしこれをオトナの映画人が作ったのであれば、文字通り「子供騙し」にしかならないが、子供が子供の目線で作っているのだから、いちいち文句をつけるのは無粋な気がしてくる。

また、主演の松永祐佳が、良い。とりたてて美形というわけでも演技が巧いというわけでもないのだが、ナチュラルな明るさが眩しい。観客を一気に味方につけてしまう、不思議な魅力をもつ少女だ。

また、エンディング・テーマ『虹色★ロケット』も松永が歌っているのだが(「道徳ビデオ」なのにエンディング・テーマまであるというサービス精神。ちなみにその作詞作曲も出演者が手がけている)、堂の入った歌い回しに感心させられた。若さゆえの勢いをロケットに喩えた秀逸な歌詞もあいまって、爽快な後味を残す。

学校の教材として作られたにしては、毒のある内容なのも意外だった。

ファンタジー仕立てのこの物語には、「神様」が登場する。しかし、 そのみすぼらしく不気味な佇まいは、神は神でも「死神」と呼ぶのが適当だ。じじつ、自殺しようとする友人を止めようとする主人公に対して、その善意を弄ぶ かのような、「ある条件」を突きつける。そして主人公は、その条件をあえて飲むことで、友人を改心させることに成功した。だが、その選択は、せっかくでき た掛け替えのない仲間たちを失うことにつながるのだ――。

が、そういった筋書きから作品のテーマである「命」の重さが伝わってくるかというと……首を傾げざるをえない。

友人を救うために、非現実的な「超能力」に頼ってしまうのでは、もし本当に自殺したいと悩んでいる観客がいたとしても、なんのヒントにもならないのではないか。答えを出せ、とまでは言わないが、せめてヒントを示すことくらいはできただろう。

神から与えられた力をあえて使わずに、「自分の力」だけで解決していれば、あんな悲しい結末にならずにすんだはずだ。そう考えると、主人公の自己犠牲も安っぽく感じられてしまう。

いつ死んでもおかしくない難病を抱えて生きているという設定が、ストーリーの展開に反映されていないのも不可解だ。「必死に生きろ。次に病がお前を襲うその日まで」という神様の台詞も、劇中で「その日」が描かれていなければ意味をなさない。

残念ながら、「道徳ビデオ」としては失敗している。たんなる「ファンタジー映画」として観た場合も、けっして褒められた出来とは言いがたい。

それでも、この小ぢんまりとした御伽噺がやたら壮大に感じられてしまうのは、少女の自殺したいという理由が妙に哲学的なものであるからだ。

自分が生きているせいで、他の存在を脅かしてしまう――という少女の苦悩は、本来であれば、それだけで映画が一本作れてしまうくらい深遠なテーマである。加えて「ブラックホール」「スターボウ」といった科学的なキーワードや、ロケットの形をしたキーホルダーなどといった小道具を散りばめたことで、SF的なムードを演出している点も特筆に価する。

しかし、そんな興味深い問題を提起しておきながら、それが作劇上、何の意味もなしていない。

具体的には、少女がどんなきっかけでそんな悩みをもつに至ったのか。また「生きる覚悟」を得た彼女が、今後、その悩みとどう向き合って生きていくのか。そういったあたりがまったく描かれていないので、少女の心の叫びは私の胸を打つことなく、作品にただ何となく小難しい雰囲気をもたらすにとどまっている。仮に他の悩みに置き換えたとしても、この物語は成立してしまうだろう。

脚本を手がけた二人の生徒の内、一人は他ならぬ件の少女を演じた生徒(もう一人はこの映画の監督)。おそらく彼女自身が、己の抱えた悩みに対する明確な答えをまだ見つけ出せていなかったのだろう。また聞くところによると、制作当時、出演者・スタッフ一同がちょうど受験勉強に追われていたということもあり、妥協せざるをえなかったのかもしれない。

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その後も「ラチカル」は何本か短編作品を制作したようだが、公式サイトの更新は数年前からストップしたまま今日に至る(2016年8月時点)。

あの日の少女は今、自身の心の闇とどのように折り合いをつけて生きているだろうか――と、時々思い馳せてみる。