あまり個人的な思い出話をするのは気が進まないけれど、清水厚監督にとって初の劇場公開作品『ねらわれた学園(97年度版)』は、少なからず愛着のある映画だ。新人アイドル、村田和美をフィーチャーした瑞々しい青春描写は、当時、陰気な高校生活を送っていた私の憧れだった。

だからこそ、その清水監督にとって劇場用作品第2弾にあたる『蛇女』が、マニアから「トンデモ映画」認定されていると知ったときは、ショックだった。そして実際に観て、そのあまりに無惨な出来を確認したとき、『ねらわれた学園』の淡い思い出さえ汚された気がした。

しかし、清水監督の暴走はとどまることをしらない。

『武勇伝』を挟んで劇場用作品第4弾となる、中編ホラー映画『チェーン』。

こうなったら、テレビの前で笑い転げるしかなかった。もう、この人に、マトモな映画を作る意志なんてないんだな、と。

ある夜、バカな若者たちが、心霊スポットのビルに忍び込み、そこにあった気味の悪い扉を、携帯電話のカメラで撮影する。

ところが、いつしかその写真は、チェーン・メールとして一人歩きしだした。

差出人不明のメールで送られてくる質問に答えると、自動的に件の画像につながる。すると、写真の中の扉が開き、そこから怨霊が時空を越えてやってきて、それを見た者を惨殺する。

――早い話が、近年のジャパニーズ・ホラー・ブームに便乗し、『リング』と『呪怨』を手っ取り早くパクったバッタモノだ。

しかし、それだけではいくらなんでも間が持たない。そこで清水監督は、トリッキーな演出を試みた。

町中の人たちに、件のチェーン・メールについてインタビューし、その映像を随所に挿入するという趣向だ。

しかし、こういうやり方の場合、そのインタビューの内容がよほどユニークでないと、たんなる「退屈な映像」で終わってしまう。案の定、ただ奇を衒っただけで何の工夫もない映像が垂れ流され、ドラマとしてのリズムを思いっきり乱している。

『蛇女』では、突如発狂する佐伯日菜子の狂態が失笑を買ったが、『チェーン』だってトンデモなさでは負けちゃいない。

もう、なんて説明したらいいんだろう。哀れな犠牲者たちは、怨霊の怪力で全身の骨を折られるため、ものすごくケッタイな格好で死んでいくのだ。しかも、目や鼻や耳から血を流している表情がさらにマヌケで、僕なんかこれらのシーンが入るたびに吹き出してしまった。

かといって、パロディでやっているという気配もない。ストーリーは、いたってマジメだ。

主人公の女子高生は、母親を病気で亡くし、父親も単身赴任しているため、小学生の弟と二人暮らししている。

弟は、寂しさから携帯電話のメールに没頭する。やがて、件のチェーン・メールが、彼の元にもやってくる。

母親と死別したことで、主人公は「死」に対して過敏になった。安直に「死ぬ」という言葉を口にする親友を諫めたり、ペットの金魚を死なせてしまった弟を叱ったりと、しんみりさせられる場面もある。

だからこそ主人公が、興味本位でチェーン・メールを開いてしまった弟の身代わりになるラストは悲壮だ。

怨霊が主人公を惨殺するシーンもかなりの迫力で、けっして元ネタに引けを取っていない。

『リング』や『呪怨』では、モンスターが登場するところまでは映しても、被害者を殺す様子までは追わなかった。しかし、『チェーン』の場合、怨霊に絡みつかれた主人公が、目と耳と鼻から鮮血を吹き出し、悲鳴を挙げながら絶命する様まで描いている。それによって、「元ネタ」のインパクトにじゅうぶん対抗している。また、このシーンにかぎって、あのマヌケな死に様をあえて映さないところにも、清水監督の良心が伺える。

ちなみに本作は、今やすっかりAV女優が板についてしまった小向美奈子の初主演映画としても知られている。グラビア・アイドルとして活躍していた当時から豊満な肉体を売りにしていた小向だが、『チェーン』にはその“商売道具”を披露するシーンはない。

そうなると、頭はデカいわ目はギョロっとしてるわエラは張ってるわアゴはシャクレてるわ肉も付きすぎてるわ。はっきり言って、服を着たままの小向に、セックス・アピールなんて微塵も感じられない。

しかし、そのふくよかな体型は、若いながらも母性を感じさせるにじゅうぶんだ。また、「イマドキの若いコ」には珍しく、はっきりした発音で喋るのも、地に足の着いた印象を与える。弟を一人で育てる姉という役柄には、彼女以外に考えられないほどピッタリはまっていた。

だからこそ、弟を迎えにいくのは、本来なら姉でなくてはならなかったはず。せっかくホメてやろうと思ったのに、最後の最後で外されてはシャレにならない。