★★★

実在するシリアル・キラー(連続殺人犯)たちの生き様を映画化したシリーズ「シリアル・キラーズ」の中の一つ。

本作は、60年代アメリカのフラワー文化が生み出した悪夢、チャールズ・マンソンにスポットを当てている。

「マンソン・ファミリー」と呼ばれるカルト集団を率い、フリー・セックスやドラッグ、そして殺人に明け暮れたヒッピー教祖。

また、シンガー・ソングライターとしても才能を発揮し、その実際の歌声を劇中で聞くことができる。

このシリーズ、題材となる人物に合わせて作風を変えているようだ。本作の場合は、60年代当時のアングラ映画を意識したかのような、不条理で殺伐とした内容となっている。

いちおう舞台となるのは、現代のテレビ局。マンソン・ファミリーの「今」を追うドキュメンタリー番組の制作室に、突如、一本のビデオ・テープが送りつけられる。

そこに収められていたのは……よくわからない(笑) というのも、それ以降、マンソン・ファミリーたちの独白と再現ドラマが入り乱れ、構成がグチャグチャになってしまうからだ。

あげくのはてに、謎のならず者集団まで乱入する。この連中、どうやらマンソンの信奉者らしいのだが、マンソン・ファミリーたちとの面識はないみたいだし、当然、60年代当時の事件とは何の接点もない。

犯罪史上に残る大事件だけに、この映画を観ることで、てっとり早く概要を知ろうという人もいるだろう。しかし、残念ながら、そういう用途にはお勧めできない。それどころか、事件についてあるていど“予習”しておかないと、画面上で何が起こっているのかすら把握できないだろう。

まさに「へルター・スケルター(しっちゃかめっちゃか)」な作品だが、マンソン・ファミリーの混沌を再現しているとも言えるかもしれない。

グロテスク描写も強烈だ。まるで子供が紙粘土にヘラを突き刺すような感覚で、犠牲者をナイフでメッタ刺しにする様は、抗いがたい高揚感を与えてくれる。

また本作の売りとして、90年代モダン・ヘヴィネスの旗手「パンテラ」でシンガーを務めていたフィリップ・アンセルモが、「悪魔の声」を担当。さらにはサイド・プロジェクトである「スーパージョイント・リチュアル」「ボディ&ブラッド」「サザン・アイソレイション」などの楽曲も、BGMとして起用されている。

こういったところからも、「イマドキのホラー映画ファン」にアピールしようという狙いはわかる。しかし、再現ドラマの中でラジオから流れてくる音楽までもが、まるっきり「イマドキのラウド・ロック」なのは興ざめだ。

その一方で、マンソンの狂気を加速させたビートルズの名曲『へルター・スケルター』が流れる場面が一つもないというのは、どうも腑に落ちない。どうせなら、スーパージョイント・リチュアルかボディ&ブラッドでカヴァーすればよかったのに(ちなみにサザン・アイソレイションは、フィルが奥さんとやってるダーク・ウェイブ・ユニット)。