黒魔術師の女子高生【黒井ミサ】の姿を描く、古賀新一原作のホラー漫画の実写化作品。

実写版『エコエコアザラク』には、テレビ版と劇場版とがある。劇場版の1作目と2作目は、吉野公佳を主演に据えていたが、3作目は、テレビ版の主演である佐伯日菜子を起用した。

そして4作目にあたる本作では、主演を加藤夏希に替え、まったく新しい世界観で作り直されている。

さて、本作を「ホラー映画」とカテゴライズすることにはためらいがある。なぜなら本作は、マスコミの醜悪さをテーマとした、社会性の強い内容となっているからだ。

悪い言い方をすれば、監督が自分の伝えたいメッセージを表現するために、有名なホラー映画シリーズを“利用した”ということになる。

それはともかくとして、この映画が大失敗しているのは、【黒井ミサ】が黒魔術師である必然性がないことである。

いや、それどころか【黒井ミサ】が黒魔術師であっては、この作品が成り立たないのだ。

物語は、森で少年たちの死体が発見されたことから始まる。彼らは皆、明らかに人間の手によるものではない、超常的な力によって惨殺されていた。

マスコミは、唯一の生存者である【黒井ミサ】を「魔女」として追いかける。

ところが、【ミサ】には事件当時の記憶がない。いや、それどころか、自分が「魔女」だという自覚すらない。

けっきょく、テレビ局内でマスコミに追いつめられた【ミサ】は、呪文を唱えて、その場にいた者を皆殺しにする。

だが、「呪文を唱える」というからには、過去にどこかで呪文を習ったという経験があるはずだ。いくら記憶喪失とは言え、自分が黒魔術師であることを忘れる、などということがありうるだろうか?

もし、【ミサ】の発する「力」が、魔術のような学問的知識を要求されるものではなく、サイコキネシスのような本能的なものだったとしたら、辻褄が合 う。だが、呪文は、正確に発音しなければ効力を発揮しない。そんな複雑なものを、無意識のうちに諳んじるなどということはありえないのである。

監督は、自分のメッセージを優先させたがために、作品の設定そのものを破綻させてしまった。これでは独りよがりなオナニー映画と非難されても仕方があるまい。

破綻しているのは、主人公だけではない。ミサが収容された病院で、医者から「精神にあまりにも強い負荷がかかると、人はその体験を思い出せなくな る」と聞かされ、「都合のいい話だ」などとバカにしていた刑事が、終盤になっていきなり正義感に燃え、ミサを庇おうとするのは不自然だ。脚本家が、ろくに プロットを練っていないのが丸わかりである。

おまけに【ミサ】が魔力で暴漢たちを皆殺しにするシーンは、ただナイフがぴゅんぴゅん宙を舞うだけのじつにショボい仕上がり。テレビ局で起こったとされる惨劇も、実際の描写はないので、カタルシスが得られない。

『エコエコアザラク』としてどうか? という以前に、「映画として」退屈な作品だ。

こんなダメ映画でも、いちおう見所らしきものはある。

遠藤憲一扮するTVレポーターがクライマックスで繰り広げる狂態は、かなりの迫力だ。とくに、目の前で起こった惨劇に興奮するあまり、【ミサ】と自分自身の体に鮮血をなすりつける様は、熱演がすぎて爆笑必至である。

それにしても、本作といい『死国』といい『蛇女』といい、和製ホラー映画における恐怖表現は、へたするとギャグに転化してしまうきらいがある。

メディアが伝える現実の悲惨な犯罪事件に較べたら、魔女だの幽霊だのといった絵空事は、もはやジョークのネタにしかなりえないということだろうか。