さて、以上のことを踏まえた上で、物語を紐解いていこう。

宮崎あおい演じる、内気な女子高生【登美恵】は、学校ではイジメられ、唯一の肉親である父親にも心を開けず、暗い日常を送っていた。

そんな【登美恵】にとって、心の拠り所は、耽美と幻想の世界にしかない。

日々、デカダンスな絵画を眺めては妄想に耽る登美恵は、それだけでは飽きたらず、彼女自身も小説家を志し、虚構の世界にいっそう耽溺していった。

ある日、学校帰りの【登美恵】は、ふと骨董品店に立ち寄る。

そこで、宝石をあしらった美しいロザリオを見つけたが、値段が高すぎて、【登美恵】の小遣いでは手が出ない。

「……十字架は嫌い。私は、ヴァンパイア……」

諦めて立ち去ろうとする【登美恵】。

と、そこへふいに背後から手が伸び、【登美恵】の首に、そのロザリオが掛けられる。

振り返ると、そこには見知らぬ美少女が、いたずらっ子のような微笑を浮かべて立っていた。

艶のある、さらさらの黒髪を肩の辺りで切り揃えた彼女は、今時の娘にしては珍しく、古風で清楚な雰囲気を身に纏っている。しかし、切れ長の目と高く通った鼻が、どこか日本人離れしていて、垢抜けた印象だ。

初対面ではあるが、大人びた、落ち着きのある佇まいから、一目で【登美恵】より年上であることがわかる。

「それ、欲しいんでしょ? 似合うよ。行きましょ」

謎めいた美少女は、戸惑う【登美恵】の手を取り、店を出た。

「あなた、名前なんていうの?」

緊張のあまり、押し黙る【登美恵】。

美少女は、【登美恵】の鞄から学生証を抜き出す。

「へぇ~。『とみえ』っていうんだ。私も『とみえ』っていうのよ」

美少女の名前は【富江】。苗字はわからない。

「ねぇ、私たち、友達にならない?」

そう言うと【富江】は、答えを待たずに、いきなり【登美恵】の眼鏡を奪う。

「こっちのほうが可愛いわ」

そして、高く放り投げた――。

「同じ名前なのに……ぜんぜん違う」

端麗な美貌と奔放な性格の【富江】は、【登美恵】にないものをすべて備えているかのように見えた。

そして、それはまさしく、【登美恵】が孤独な空想の中で思い描いていた、理想のヒロインそのものだった。

また【富江】のほうも、【登美恵】に興味を示した。

【登美恵】は、野暮ったい外見ながら、それゆえの愛嬌がある。

【富江】もまた、自分にないものを、【登美恵】に求めたのだ。

こうして、二人は心を通わせる。

それからほどなくして、【富江】が【登美恵】の家に遊びに来た。

しかし、【登美恵】が父と二人で暮らす家は、近所から「お化け屋敷」と噂されたこともある、オンボロの木造家屋。

【富江】は、【登美恵】の自室に入って早々「最悪の家」とケチをつけ、イジメられっ子にイタズラ書きされたノートを見つけてはバカにし、置いてあった耽美的な画集を見て「そうとうヘンタイだよ、やっぱり」とからかう。

さらに【富江】は、【登美恵】を追い詰める。

「あー、この部屋には怨念が渦巻いている。こんな古い家にオヤジと住んで。学校ではイジメられて。あなた、何が楽しい?」

――うつむく【登美恵】。

【富江】は【登美恵】の頬に手をあてると、そっと唇を重ねる。

「可哀想ね」

しかし憐憫の情を見せたかと思うと、【富江】は【登美恵】の書いた小説を、いやがる【登美恵】の前で、わざとらしく声に出して読み上げる。

さて実際、【登美恵】の文才はどれほどのものなのか。

劇中において、【登美恵】の書いた小説は断片的にしか用いられないので、観客の側には、彼女の文才を評価することはできない。

だが、【富江】は最初のうちこそからかい半分だったものの、読み進むにつれて惹き込まれ、やがて褒める。

この時、【富江】がお世辞やご機嫌取りで登美恵を褒めたのでないことだけは確かである。

自分の書いた小説を読み耽る【富江】に、【登美恵】はコーヒーをふるまう。

【富江】は、一口飲むと、それが「インスタント」だからと言って、もう口を付けない。【登美恵】は、近所のスーパーまでわざわざ豆を買いに行くはめになる。

一見すると、何気ない日常の一齣に思える、この件。しかし、映画は限られた時間の中ですべてを表現しなくてはならない。

すなわち、どんなシーンにも作劇上の役割があると考えるのが、妥当なのではないか。

とは言え、あからさまに主張しすぎると、ドラマのペースが乱れ、不自然な印象を与えてしまう。したがって、ともすれば見過ごされがちなエピソードにこそ、作品にとって重要な意味が込められているのだ。

【富江】と【登美恵】の、このさりげないやり取りは、【富江】が、物事の真贋を見極めることのできる、鋭敏な感性をもった人物だということを物語っている。

そして、つねにそれを妥協することなく貫き通す。相手が傷つこうと腹を立てようと、ぜんぜん気にしない。

だが裏を返すと、それは【富江】の言葉に嘘がないことの証でもある。

【富江】は本心から、【登美恵】に小説家としての才能を見い出したのだ。

しかし、このことによって【登美恵】は【富江】の下僕となってしまう。

なぜなら小説は、他に何一つ取り柄のない【登美恵】にとって、この世界における、唯一のアイデンティティなのだから。

そして【富江】は、登美恵を不愉快な現実から救い出してくれる、唯一の存在なのだ。

ところで、この映画には、【富江】の他にも、【登美恵】を支配する者たちが登場する。

クラスメートのイジメっ子3人組だ。

彼女たちは、【登美恵】をパシリに使い、金をせびり、木に縛り付けてボーガンの的にしたりして弄ぶ。

【富江】が非現実の世界の支配者だとすれば、イジメっ子3人組は、さしずめ現実の支配者と言えるだろう。

しかし、支配者としての技量に関して、イジメっ子3人組はきわめて幼稚と言わざるをえない。彼女たちがやっているような、力任せの強引な支配は、被支配者の反感を招き、憎悪を募らせるだけである。

そこをいくと【富江】は、より巧妙だ。才能を積極的に評価し、被承認欲求を満たしてやることで、【登美恵】が【富江】に依存せざるをえないよう仕向けている。

支配されていることにすら気づかせない支配──これこそ、もっとも強力な支配である。

 <続>