すでに述べたとおり【富江】とは、【登美恵】のドッペルゲンガーである。
だからこそ、【富江】は【登美恵】と同性でなくてはならない。もし【富江】が「男」だったとしたら、その時点で完全な「他者」となってしまうからだ。
【登美恵】には異性の恋人はおろか、友人すらいない。この世界で【登美恵】と関わりを持つ異性は、父親の【和彦】だけである。だが【登美恵】は、自分の周りにバリアーを張って、実の父でさえ受け入れようとはしない。
そんな【登美恵】が侵入を許すのは、同じ空想の世界を共有する【富江】、ただ一人だけ。
しかし【富江】は、【登美恵】の創り出した理想であり、【登美恵】自身の分身にほかならない。
つまるところ、【富江】を愛することとは、自分自身を愛しているのと変わらないのである。
【登美恵】は、【富江】という美少女と交際しているように見えて、そのじつ他者を排除し、ナルシシズムに耽溺しているにすぎなかったのだ。
【富江】が遊びに来る前に家から【和彦】を追い出した件は、まさにそれを象徴している。
【登美恵】の分身であり、理想である【富江】は、【登美恵】が潜在的に秘めていた願望を実現するために現れた。
それは、自分を脅かす現実からの、“救済”。
すなわち、死だ。
【登美恵】との絆を深める一方、【富江】は【登美恵】の父、【和彦】にも接近していた。
ちょうど、【登美恵】の家に遊びに行った日がきっかけだ。
【登美恵】がコーヒー豆を買いに出ている間、【和彦】が、おやつのケーキを買って帰ってきた。
亡き妻の仏前に向かい合う【富江】。
「こんな人と結婚したんだ?」
「え?」
「幸せね。子供まで作って」
そしてケーキを手で払い、
「ケーキなんかじゃ、ごまかされないわよ」
【富江】は、【和彦】が若かりし頃に憧れた少女に似ていた。
いや、似ているどころか、その本人だった。
あの当時、奥手の【和彦】は、【富江】を親友に取られてしまったが、ほどなくしてその親友は謎の自殺を遂げ、【富江】も失踪してしまう。
その後、彼は他の女性と結婚するも、【富江】を忘れ去ることができないでいた。
そして、あろうことか自分の娘に、同じ音の【登美恵】という名前を付けてしまう。
あれから25年も経ったというのに、【富江】はまったく歳を取らず、当時の美しい姿のまま、【和彦】の前に現れたのだ。
【富江】は【和彦】に訴える。
「あの頃に戻って、初恋をやり直そう」と。
しかし、それは、悪魔の誘惑だった。
「あの頃」に戻るということは、
すなわち、「あの頃」になかったものを捨てるということ。
そう、一人娘、【登美恵】の存在だ──。
* * *
さて、ここで疑問に思われた方もいるだろう。
もし【富江】を《【登美恵】の分身》と仮定するなら、【登美恵】が誕生する前には、【富江】はこの世に存在していなかったことになる。
しかし、【和彦】はすでに【富江】と出会っていた。
矛盾しているではないか。
【富江】を生み出したのは、【登美恵】の孤独なのか?
それとも、【和彦】の記憶なのか?
結論から言うと、どちらも正しい。
【富江】とは、時空を超越した存在なのだ。
いや、【富江】だけを見ても、彼女の存在意義は理解できない。
作品世界の全体像を、俯瞰する必要がある。
ともすれば私たちは、『富江 最終章 ~禁断の果実~』という物語もまたこの現実世界と同様、時系列にしたがって展開していると思い込みがちだが、じつは違う。
一つ一つの出来事は、時間軸にとらわれることなく、並列に置かれている。
そこは現実世界と違って《「過去→現在→未来》という概念が通用しない。
だから、「未来」が「過去」に影響を及ぼすことだってありうるのだ。
そも、空想上の物語までもが、現実の物理法則に従わなくてはならない、という決まりはない。
一見すると、こぢんまりとしたアイドル映画のように思える『富江 最終章』。
しかし、ありふれた日常を舞台に描いているようでいながら、その根底では、まさにオカルト的とも言えるほど、混沌とした世界が広がっている。
そんな作品世界を象徴する【富江】というキャラクターは、「無秩序」を具現化した存在である。
元より、殺されて切り刻まれても、断片から再生し無限に増殖するという、その体質からして「生の理」に反しているではないか。
おそらく、不死の美少女の姿は、かりそめのものにすぎない。
【富江】の生命を司る「本体」は、日常を超越した高次元の世界にいて、そこから人間たちの卑小な営みを嘲笑っているのではないだろうか。
そして【富江】は、「時の理」をも自在に操る能力を備えている。
過去の人物(=和彦)と未来の人物(=登美恵)が別々に夢見たことを、同時に現実化することすら可能なのだ。
【登美恵】と【和彦】の前に現れた美少女は、彼らの願望の産物であった。
だが同時に、【富江】自身もまた、自立した明確な意志を持っている。
【富江】は、【和彦】の自分に対する想いを知りながらも、わざと他の男を選んだことで、彼の心に未練を残し、愛のない家庭を築くように仕向けた。
【和彦】にとって妻と娘は、【富江】の代替品にすぎなかったのだ。
ナイーブな感性をもつ【登美恵】は、自分の名前の由来を知らなくても、父の愛が虚ろなものであることに何となく気付いていた。
家庭に、そして父の心に居場所を見いだせない【登美恵】は、おのずと孤独な妄想に傾倒せざるをえなくなる。
【和彦】と【登美江】の家庭はあたかも、たった一つだけピースをなくしてしまったために、いつまでも完成できないでいるパズルのようだ。
二人が困っているところへ、ちょうどそのピースを持ってやってきたのが、【富江】だった。
しかし、じつは【富江】こそが、ピースを盗んだ犯人だったのだ。
【富江】がこの親子を選んだのは、たんなる気まぐれではない。
三人は、出会うべくして出会ったのだ。
それぞれの思惑が絡み合う中、物語は佳境を迎える。