いわゆる「サイバーパンク」ってやつですか。セットが凝っているぶん、役者の力量不足が際立つ。金切り声でセリフを捲くし立てれば「狂気」が表現できると勘違いした、三流のアングラ劇団みたいなノリに終始イライラ。

また、このテの作品の常として、ストーリーも設定もチンプンかんぷん。非人道的な実験によってムリヤリ進化させられた人間が、いったいどういう能力を得たのか。そして件の組織は、それを利用して何をやろうとしていたのか。そんな基本的なことすら描けていない。そのくせ編集は冗漫でムダが多く、作品のスピード感を殺いでいる。

……さて、以上の問題点は、監督の福居ショウジンが手がけた前作『ピノキオ√964』にも、画面が白黒であるというスタイルの違いを除けば、そっくりあてはまる。ようは何一つ成長してないってことだ。

福居監督の師匠にあたる石井聰互(現・岳龍)が、初期の衝動的なバイオレンス志向を通り越して、より内省的な映像表現に移行していったのと対照的である。オリジネイターとエピゴーネンとの格の違いが、如実に表れている。

もっとも福居監督の映画作りがちっとも巧くならないのは、かならずしも才能の問題ばかりではないだろう。

何事も、上達するには経験を積まなければどうにもならないが、映画の場合、たかが1本撮るのに莫大な金と時間がかかる。人手もいる。

型破りな映画監督たちのインタビューを集めた書籍『ムービー・パンクス』(イーター編集部 星雲社)によると、『ピノキオ√964』の制作にあたって、福居監督は1千万円以上の借金をし、夜逃げまでしたあげく、なんとか完成にこぎつけたのだという。脚本の執筆に没頭するため、それまでやっていた仕事を辞めて、ガテン系の肉体労働で金を貯めてから、3ヶ月も家に篭るなんてこと、凡人にはとてもじゃないけど無理だ。

努力できることも才能であるなら、福居ショージンという人に映画作りの才能がないなどと言う資格は誰にもない。が、ようは「映画を作る!」という衝動ばかり先走って「良い映画」を作るという志はないがしろにされているのではないか。こういう人をむやみに持ち上げるのは、かえって残酷ではないのか。一凡人の私は、ついそう思ってしまう。