『富江 最終章』において、特筆すべき演出は多々あるが、その中でも印象的なのは、小説家を志す【登美恵】の作品『アンとマリーの物語』(正式なタイトルは不明)を劇中の随所に挿入することで、【登美恵】が現実と妄想の境界線を踏み外していく様が、より効果的に描かれていることである。
あの【富江】でさえ認めた【登美恵】の文才であるが、残念ながら劇中では断片的に引用されているだけなので、その全容を知ることはできない。
それは、実際に【登美恵】もしくは【富江】に声を出して読まれることもあるが、大半は【登美恵】自身のその時々の心情にリンクし、即興で生み出されていくようである。
【登美恵】は、自らを小説の主人公である【アン・バートリー】になぞらえている。
また、【アン】が人外の者(ヴァンパイア)であるという設定は、【登美恵】の社会に対する疎外感を反映していて、興味深い。
ちなみに【アン】という名前は、『夜明けのヴァンパイア』や『呪われし者の女王』で知られる、耽美派吸血鬼小説の大家、アン・ライス。
また【バートリー】は、中世のヨーロッパで、処女の生き血を浴びて永遠の若さを得ようとした実在の人物、エリザベス・バートリー伯爵夫人から取られたものと思われる。
そして、【登美恵】が【富江】と知り合ってからは、密かに【富江】を【マリー】と呼ぶ。
【アン】と【マリー】の間柄はよくわからないが、【シンプソン】なる人物によって囚われの身となった【アン】を、【マリー】が救い出すというエピソード。そして、現実の【登美恵】と【富江】の関係から推察するかぎり、どうやら同性愛の関係にあると考えてよさそうだ。
ここで、劇中で引用されている『アンとマリーの物語』、およびそれにまつわる会話を拾い集めることで、少しでも作品の雰囲気を掴んでみたい。孤独な少女が織り成す、甘美なる幻想と猟奇の物語に、私たちも浸ってみようではないか。
- シーン1
(放課後に陰湿なイジメを受けた帰り道、骨董品店に立ち寄る【登美恵】)
私の名前は、アン・バートリー。悪戯な運命に流され、安住の地を求めてこの町に来た。でも、この町は灰色に覆われていた。人目についてはいけない。私は正体を隠すために、目立たない姿をしている。
登美恵(ロザリオを見て)「きれーい……」
(しかし手の届かない値段だった)
十字架は嫌い。私はヴァンパイア。
(諦めて立ち去ろうとする)
- シーン2
(いやがる【登美恵】を尻目に、わざとらしく声に出して読み上げる【富江】)
アンは、マリーの冷たく輝く金色の瞳に目を奪われていた。「うちでディナーをしていきなさいよ」マリーの言葉は、春風の囁きのようにアンを誘った。彼女の誘いに危険な香りを感じたアンだったが、マリーの瞳を見ると、断ることはできなかった。マリーの屋敷は、街道からブナ林を抜けたところに、人目を忍ぶようにひっそりと建っていた。
- シーン3
登美恵(コーヒーをトレイに載せて運んでくる)「お待ちどうさま」
富江「これ、面白い」
登美恵「本当?」
富江「ねぇ。マリーは美人なの?」
登美恵「うん。男はみんな、彼女を一目見たら虜になるの」
- シーン4
(ベッドに寝そべる【富江】に頼まれ、朗読する【登美恵】)
暖炉の上には、大きな鍋が湯気を上げていました。アンのお腹はぐぅぐぅ鳴って止まりません。それが聞こえたのか、マリーは大きなお皿いっぱいによそってくれました。スープを一口すすると、体が芯から温まり、お肉は口の中でとろぉりと溶けて、あまぁい香りが広がります。アンは頬をピンクに染めて、3杯もおかわりをしました。マリーは、その姿をニコニコ眺めていました。
富江「それって恋人の肉だよね?」
登美恵「どうしてわかったの?」
富江「だって殺したじゃない」
登美恵「そう。困って、シチューにしちゃったの」
富江「困ったんじゃないよ。愛してたから、食べたかったんだよ」
登美恵「……富江さん、すごーい」
- シーン5
(風呂から上がってくる【登美恵】を待ちながら、ベッドで寝そべり、小説を読み耽る【富江】)
富江「ねぇ。これやってみようよ」
登美恵「ん?」
富江「ここ。教会の屋根裏部屋に閉じ込められたアンを、マリーが助け出すとこ」
(【富江】立ち上がり、【登美恵】の学生服からタイを取り出す)
登美恵「……何してんの?」
富江「シンプソンに縛られたんでしょ?」
- シーン6
(【和彦】によって切り刻まれた【富江】の遺体を探しに、川にやってきた【登美恵】)
アンはマリーと離れ離れになってしまった。マリーにはもう、二度と会えない。
- シーン7
(【和彦】と【富江】が去った後、一人家に残された【登美恵】)
アンはマリーとやり直すことにした。今度は失敗しない。いい子に育てる。本当の親友を作るの。悩み事が話せて、心から信頼できる友達を。
登美恵「本当の友達を作るの」
(宝石箱の中、【富江】から貰ったロザリオの横で、切り落とした【富江】の左耳が蠢いていた――)