★★★

インターネットが普及し、誰もが「評論家」になれるようになった今日。もはやあらゆる映画が語り尽くされたのではないか、とすら思えてくる。

だからこそ、中古ビデオ屋で名前すら見たことのない作品(とくに和製)を見つけると、嬉しくなってつい買ってしまう。大雪の降った日の朝、道路に初めて足跡をつけるような気分だ。

ここで取り上げる『CON TON 獣神伝説』も、そんな中の一つだった。

パッケージの紹介文は色あせてほとんど判読不可能だが、グチャグチャでもう何がなんだかわからない死体や、ひしゃげた顔面から目玉が飛び出している凄まじい写真などから察するに、スプラッター系のホラー映画であるようだ。『CON TON』とは「混沌」に引っかけているのだろうか。しかし、CON もTON もなんか丸っこい字面で迫力がない。あまりセンスのいいネーミングとは言えない。

正直、内容はまったく期待していなかった。ただ、買い逃したらもう二度とお目にかかれない気がしたので、とりあえずサルベージしておいたにすぎない。

家に帰って、さっそく観てみた。

そして驚いた。

こいつは掘り出し物だ!

主人公は、フィギュアおたくの大学生。机の上には、ウルトラマンの怪獣やゴジラの人形が並べられていて、自分でも粘土でフィギュアをこしらえる。

ヤクザから500万円もの借金をする羽目になった彼は、連日、脅迫まがいの取り立てにあっていた。

夜になると、悪夢にうなされる。 暗い建物の中で、重厚な鎧をまとった戦士やおぞましい怪物が襲いかかる。 床の間に置いてある生首や、緑色のゲロから浮かび上がるバケモノの顔が、長い口を伸ばして攻撃してくる。

現実と非現実。二つの世界で容赦なく責め苛まれる青年の様子を、荘子の言葉を絡めて描いていく。

当時としては最先端の技術を用いたであろう特撮シーンも見応えがある。 また、主人公は撮影スタジオでアルバイトしているという設定なのだが、バケモノに追いかけられる件では、スタジオの入り組んだ設計をうまく活かし、緊迫感を高めている。

終盤、ついに夢と現実が融合する。

とうとうヤクザたちに追いつめられた主人公。リンチされた挙げ句、ガール・フレンドを目の前で陵辱されそうになり、怒りが極限に達した。

するとそのとき、彼の肉体が変容をきたす。

そして生まれ変わった姿は、まさしく連日の悪夢に出てきたモンスターそのもの。怪力でヤクザたちを皆殺しにする。

ところが……彼自身も、まもなくガール・フレンドの手によって殺されてしまう。

なんと彼女の正体は、同じ悪夢の中に出てきた戦士だったのだ!

エンディングでは、それらのエピソードも、主人公が作ったフィギュアの世界の出来事にすぎなかったことを示唆して終わる。 荘子の引用は、ただのハッタリではない。一時間足らずと短いながら、じつに凝ったストーリーだ。

最初、この映画を観たとき、戦士や怪物の造形にリアリティがなく、あまりにも漫画チックにディフォルメされていることに違和感を覚えた。まるで日曜の朝にテレビでやっている子供向け特撮ドラマに出てくるような感じなのだ。とは言え、子供がこんなグロい映画観るわけないし……。

が、観終えてしばらく経った後、納得がいった。

借金を返済するため、学校にも満足にいけず、バイトに明け暮れる主人公。両親もおらず、かといって恋人をヤクザとのトラブルに巻き込むわけにもいかない。

孤立無援の彼が自由になれた場所は、幼稚で荒唐無稽なフィクションの世界だけだった。 一連の悪夢は、彼自身の逃避願望が見せたものだったのだ。

「私は、私が夢見た蝶なのか。私を夢見る蝶なのか」

不自由で過酷な現実の世界で死ぬよりも、自分の作り出した空想に閉じこもりたい──『CON TON 獣神伝説』は、そんな若者の脆弱な心理を巧みに諷刺した作品だ。

しかし、惜しむらくは、あまりにも低レベルな役者の演技力。 主演の加藤忠司なる男優は、棒読みのセリフと乏しい表情が情けない感じを出しているものの、それは「味」ではなく、たんに表現力の拙さからくるものなので、哀愁を誘わない。いくら凄んでもまるで力の入らないヤクザ三人衆にも失笑させられる。そんな中、主人公のガール・フレンドを演じる片山京子は、なかなか色っぽいのだが……。

それにしても、主人公がバイト先のスタジオで、貧乏くさいアイドル歌謡に乗せて踊る、あの暑苦しいダンスはなんとかならないものだろうか。ああいうのが「イカす!」とされていた時代もあったんだなあ……と切ない気分になってしまう。