★★★★
実在するシリアル・キラー(連続殺人犯)たちの生き様を映画化したシリーズ、「シリアル・キラーズ」の中の一つ。
本作は「ミルウォーキーの怪物」ことジェフリー・ダーマーにスポットを当てている。
ゲイである美青年ジェフリーは男性ばかり17人も殺害した上に、その食生活をほぼ犠牲者の死肉のみで満たしていたという、殺人鬼にして食人鬼である。
食べ切れなかった犠牲者の肉片もクローゼットなどにコレクションしていたため、彼の住むマンションは腐敗臭が充満し、“一人解体ショー”の舞台となった隠し部屋の床には、切り落とされた指がゴロゴロ転がっていたという。
だが、この映画にそういったシーンはない。露骨なグロテスク表現をあえて避けるかわりに、孤独な狂人の苦悩をスタイリッシュなタッチで描いている。
ある日の午後、ストリートでめぼしい青年を見つけたジェフリーは、マリファナを餌に自宅まで連れ込むも、相手がノンケであったため、あえなく拒絶されてしまう。
ジェフリーはカッとなり、立ち去る青年を背後から撲殺。その遺体を犯した後、鋸で切り刻み、家の軒下に捨てた。
この事件を境に、ジェフリーには死体愛好癖が身についてしまった。相手が物言わぬ死体なら、拒絶されることなく、一方的に支配することができるからだ。
ゲイバーで知り合った行きずりの男とトイレでコトに及ぶ際も、わざわざハルシオン入りのラムコークを飲ませて眠らせてからでなければできない。
終盤、ようやく両想いの相手に巡り会うものの、孤独の中で生きてきたジェフリーは、彼の愛を素直に受け入れられない。
黒人である彼をわざと侮辱してみせるが、彼のジェフリーへの想いは本物だった。
ジェフリーは“いつものように”彼を殺そうとするが、なぜだか殺しきれない。
ようやくジェフリーが異常者であることに気付いた彼は、ジェフリーの顔面にパンチを入れ、部屋を飛び出す。
階下から窓ガラスに石を投げ、悪態をついて去っていく彼の姿を、切なげに見送るジェフリー。
史実によると、殺戮の館から首尾よく逃げ延びた彼が、巡回中のパトカーに救助されたことがきっかけで、ジェフリーの逮捕に至る(ちなみに実際の彼はノンケであったという)。
本作では、そうした結末についてあえて触れていないが、観客の解釈に委ねることで、いっそう悲痛な印象を強めた。随所で流れる、ギター・ポップ調の耽美的なBGMも、あざとくならないていどに哀感を盛り上げてくれる。
そんなジェフリーを熱演するジェレミー・レナーは、童顔の甘いマスクも手伝って、まさにハマり役。揃えて伸ばした人差指と中指に煙草を挟んで吸う仕草なんて、ノンケの私でさえ、つい魅入ってしまう。
一方、ジェフリーと対峙する黒人青年を演じた俳優は、少女のような細い肩が色っぽいし、しなやかな身振りもじつにチャーミングだ。
ところが、この作品、どうもホラー映画マニアたちからの評価が芳しくない。テーマから期待されるスプラッターな描写が一切ないので退屈だし、ジェフリーの生い立ちや事件の経過をなぞっているわけでもないので、資料的な価値もない、というのが主な理由のようだ。
しかし、映像表現の可能性は一つではない。半ば「怪物」として異化された従来のイメージに囚われない、新しいジェフリー・ダーマー像を提示したという意味で、本作は十二分に存在意義を持つ。
たとえ偏狭なマニアたちに否定されようと、僕はデヴィッド・ジェイコブソン監督を断固として支持したい。
ちなみに.ジェフリーが「初めての殺人」を犯したシーンで、壁に大きなブラック・サバスのポスターが貼られている。
じつはジェフリー、大のサバス・フリークで、兵役時代も、大音量でサバスを聴きながら、一人悦に入っていたという証言が残されている。
史実の再現には重点を置いていない本作だが、こうしたディテールでさりげなく活かされているのだ。じつにニクい演出ではないか。