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「女吸血鬼」と言えば、ジャン・ローランやジェス・フランコが思い浮かぶ。彼らの手がけた作品の多くは、いちおう「ホラー」とカテゴライズされてはいるが、そのじつ、耽美的なエロス描写を絡めたミステリアスな雰囲気が特長で、恐怖演出にはあまり比重が置かれていない。
しかし、イタリア・ホラー界の巨匠、マリオ・バーバ監督のデビューを飾る『血ぬられた墓標』は、女吸血鬼をフィーチャーしていながら、耽美的要素は皆無(ついでに言うとレズビアンも出てこない)。ひたすら陰惨でショッキングな演出で迫る。
もう、のっけからして凄い。「魔女」として処刑される女【マーサ】の顔面に、内側に鉄の棘が仕込まれた「悪魔の仮面」が、巨大なハンマーと共に打ち付けられ、血がビューッと飛び出す。
その後も、【マーサ】のミイラの目玉がギョロっと動いたり、復活した【マーサ】の顔面が穴ボコだらけだったりと、下世話なまでに嫌悪感を煽るシーンが続く。
【マーサ】のマントをめくったら、胴体がまだ骸骨のままだったという件も興味深い。客観的に見れば、場末の遊園地のお化け屋敷のような安っぽい仕上がりである。しかし、その胡散臭さが転じて、不気味な印象を増幅しているのだから、ホラーというのは奥が深い。
バーバ作品と言えば、卓越した映像表現で知られている。本作もまた、照明を駆使することで、鬱蒼とした森や、古城の地下室の空気を効果的に演出。モノクロ特有の重厚な質感も相まって、ただの悪趣味で終わることなく、古典作品としての風格を生み出した。
『血ぬられた墓標』は、観終わった後、ひじょうに陰鬱な気分になる作品である。しかし、それはなにもグロテスクな描写によるものだけではない。
先述のとおり【マーサ】は「魔女」として、愛人とともに処刑された。だが、いくら作品の舞台である中世ヨーロッパでは当たり前の光景であったとは言え、現代社会に生きる者としては、なぜあそこまで残酷な方法で殺されなければならなかったのか、どうしても納得がいかない。
したがって【マーサ】を魔女とするなら、せめてその絶大な魔力を伺わせるエピソードを挿入する必要がある。
しかし、本作にはそれがなかった。復活を遂げた後も【マーサ】は、たいして目覚ましい活躍をすることなく、ふたたび民衆の手によって火炙りにされてしまう。
ショッキングな演出の数々がカタルシスにつながらないのは、キャラクター造形の弱さによるところが大きいように思われる。
【マーサ】を演じたバーバラ・スティール自身は、エラのはったクセの強い顔立ちも含めて存在感じゅうぶんだ。しかし、女優自身の魅力に頼りすぎてしまったせいで【マーサ】の性格や個性はまったく印象に残らない。
「ホラー映画」である以前に「映画」でなくてはならない。こんな当たり前のことを再認識させられる。
ショッカー描写のインパクトを引き立てるためには、ドラマ全体をそれに見合ったテンションにまで高める必要があった。その点、『血ぬられた墓標』は、一見するとホラーに徹しているようだが、「映画」として初歩的なところで妥協したために、けっきょく「ホラー」としても中途半端な出来になってしまったのだ。