ゴシック・ホラーの名門ハマー・プロダクションが、レ・ファニュの怪奇小説『吸血鬼カーミラ』を映画化した、いわゆる「カーミラ3部作」の最終章となった作品。

舞台となるのは、魔女狩りが横行する村。魔女狩り団(?)のリーダーである、狂信的な老僧グスタフと、悪魔を崇拝する奔放な若者、カールシュタイン伯爵との対立を描く。

冒頭、泣きながら命乞いする哀れな美少女。彼女は十字架を見せ、「魔女」でないことを必至に訴えるが、グスタフはそれを奪い取り、厳粛に天を仰ぐ。

すると、次のカットでは、もう少女が火刑台にくくりつけられていて、あえなく僧侶たちによって焼き殺される。

こんなテンポのいい編集によって、観客を飽きさせることなく、一気にストーリーが進行していく。

しかし、プロットや演出はあまりにも杜撰だ。カールシュタイン伯爵が黒魔術によって蘇らせた女吸血鬼カーミラは、その後、ストーリーに絡むことなく、あっさり作品世界から姿を消してしまう……どこ行ったんだ?

作中でカーミラが登場する前から、すでに吸血鬼が人を襲ったと思しき事件は起きていた。何人もの少女たちが、その容疑者として火炙りにされる。

そんな中、自分の姪である双子姉妹の片方フリーダが、夜中に家を抜け出していることを知っていながら、グスタフはなぜか日中に叱りつけることをしない。それどころか、おとなしく家に残っていたマリアのほうを折檻するのである。なぜか? 双子だけに見分けがつかないのだとしたら、ただのボケ老人だ。

けっきょく、フリーダが向かっていた先はカールシュタイン城であり、吸血鬼と化したカールシュタインによって、彼女は吸血鬼にさせられてしまう。

だが、うっかり魔女狩り団の宿舎の近くで、しかも魔女狩り団のメンバーを襲ってしまったものだから、グスタフらの手によって、あっけなく御用となった。マヌケである。

しかし、フリーダはカールシュタインと共謀し、マリアと入れ替わる。もはや吸血鬼と化したフリーダに、姉妹愛など残っていなかった。

あわやマリアが火刑に処されようとするそのとき、彼女が十字架を恐れない様を見て、グスタフらは状況を把握するのだが……おいおい、それじゃ冒頭の女の子は、十字架を掲げて命乞いしてたのにどうして殺しちゃったの?

ラスト、城内でグスタフと一騎打ちになったカールシュタインは、あっさりと勝利を収めるが、そのままボケっと突っ立ってたものだから、押し掛けた民衆の放つ杭で心臓を貫かれ、これまたあっさり死んでしまう。吸血鬼ならコウモリに化けて飛んでいけばいいのに……?

こんなふうに、次から次へと疑問が浮かんでしまう。展開に勢いはあるものの、観終わった後の印象は消化不良である。

何よりも、この作品には主人公がいないのだ。

罪もない少女たちを何の根拠もなく惨殺するグスタフは、現代人の感覚からすれば、たんなる鬼畜でしかない。敵役のカールシュタインがヒーローに思えてしまうほどである。

ちなみにグスタフを演じるのは、『吸血鬼ドラキュラ』でドラキュラ伯爵の宿敵ヴァン・ヘルシング博士を熱演した、名優ピーター・カッシング。その凛とした佇まいが、キャラクターの嫌悪感を中和しているので、陰惨な作品ながら、後味の悪さは意外なほど小さい。とは言え、それはピーター個人の魅力にほかならず、作品の完成度とは無関係である。

双子姉妹はたしかに可愛いけれど、掘り下げた描写がないので、「主人公」と呼ぶには魅力に乏しい。なお、「カーミラ3部作」は露骨なエロ描写で話題を呼んだが、本作には、この双子を含め、女の子の裸はほとんど出てこない。

登場人物の誰にも感情移入できず、ストーリーにものめり込めない。ジェット・コースターに乗るのではなく、それを地面から見上げているような感覚の作品である。