★★★★

1997年、遊び仲間の少女をリンチの末に生き埋めにした3人の女子高生。

1998年、小学校のプールに幼女を沈めて殺したひきこもりの少年。

1999年、見ず知らずの妊婦を包丁で刺殺した優等生の少年。

1981年に両親と兄を金属バットで殴り殺した男のインタビューを軸に据えながら、90年代後半に若者たちが起こした3つの不可解な殺人事件の原因を究明する――という体裁の擬似ドキュメンタリー(むろん劇中の事件はすべて架空である)。

劇中では事件関係者のインタビューを交えながら、若者たちが犯行に至るまでの経緯をドラマで再現する。殺人自体の描写はないものの、登場人物の日常的なやりとりが妙な具体性をもって描かれているため、かえって観客の想像力を刺激する。

とくに女子高生グループのエピソードは、イジメる側の少女たちも、またイジメられる側の少女も、普段は皆で仲良く遊んでいながら、ふとした拍子に突然暴力が始まる。そのせいで、イジメの標的となっていた少女は生傷が絶えないのだが、当の本人はイジメられていることに気づいていない、もしくは気づこうとしない様子でもある。

彼女はあろうことか、犯行に用いられたガムテープとゴミ袋も自前で購入しているのだ。その異様な光景は、あたかも暴力が空気と化しているかのようで、観ている側も知らず知らずのうちに理不尽な殺人を宿命(さだめ)として受け入れてしまう。

取材クルーを率いる女性ジャーナリストもまた、事件関係者さらには事件直前に犯人と接触した人々が、犯人の異常性を見過ごしていたことに苛立ちをぶつける。とはいえ、犯人の家族や友人はともかく、たまたま事件現場付近を通りかかった配達員や、事件直前に少し言葉を交わした行きずりの人物にまで食ってかかるのは明らかにやりすぎであり、彼女自身も狂気に蝕まれていく様が見て取れる。

やがて執拗に取材を重ねるうちに、年代を隔てた一連の事件の背後で暗躍する「悪霊」の存在が浮かび上がってくる。

監督・脚本の中村義洋と撮影・照明の鈴木謙一は『ほんとにあった呪いのビデオ』シリーズの構成も手がけており、本作においても心霊映像の演出ノウハウが随所で発揮されている。

通常であれば、社会派を意識したドラマの“オチ”として、「悪霊」はいささか荒唐無稽に思える。だが本作においては、超自然的存在の介入をあえて許したことで、人間心理が孕む闇の深さをいっそう引き立てている。

それはけっして《幽霊よりも生きている人間が怖い》などという陳腐な結論に逃げるものではない。この世の不条理に耐え切れないからこそ、人々は“より怖い幽霊”を求めるのだ。

『世紀末の呪い 増殖』は、そんな現代社会におけるホラー映画のレゾンデートルを提示した作品と言える。