★★

フランスの耽美映像作家ジャン・ローランは、未熟ながらも彼以外には作りえない、ユニークな作風で知られている。

『呪われたレイプ魔』もその一つ。

悪党どもにレイプされた挙げ句、殺された仲良し女の子二人組が、悪魔に肉体を捧げることで現世に復活し、復讐を試みる――こうして粗筋を書いてるだけで、なんだかゾクゾクしてくる。

しかし冒頭の、悪党どものキャラクター説明なんて、明らかに不要だ。

他にも、悪党どもの親玉が罪悪感に苛まれるという、絵的にまったく映えない描写がダラダラと続く稚拙な演出に、辟易とさせられる。

また、上の粗筋を読んで「おやっ?」と思われた方もいるだろう。

そう、復讐を“果たした”のではなく“試みる”というのがネックなのである。

丘の上の廃墟に棲む悪魔から、超能力を授けられた二人。

だが、その力は、あまりにもショボかった。二人で力を合わせて、上から物を落とすことしかできない。

当然、復讐を成し遂げることができないまま、魔法の効力は切れ、しまいには再びレイプされる羽目になる。

なんじゃこりゃ?

けっきょく、二人は悪魔に騙されたということだろうか。

ジャン・ローランは、人智を超えた存在に翻弄される人間たちの脆弱さを描いたつもりなのかもしれない。そうしたテーマを重んじる上で、作劇のカタルシスを敢えて放棄したと、好意的に解釈もできよう。

とは言うものの、本音を述べさせてもらうなら、やはり二人に大暴れしてもらって、卑劣な悪党どもを思う存分ぶちのめしてもらいたかったところだ。

もちろん、監督には自分の思い通りに映画を作る権利がある。しかし、それならば、それ相応の説得力を作品に持たせるべきだ。上述したような稚拙なプロットでは、ただ独りよがりで退屈な作品という印象しか、観客に与えることはできない。

本作に限らず、ローラン作品に登場する悪魔は、あまりにも格好悪く描かれている。また、テーマを強調しすぎるあまり、プロットや演出が等閑になってしまうという弱点もある。「似非アーティスト」などと揶揄される由縁だろう。

しかし、そんな悪評をはねつけてまでもファンにアピールするのは、ひとえに、映像センスの素晴らしさにほかならない。

本作でも、ジャン・ローランならではの退廃的な幻想世界が繰り広げられる。

夜の海岸をバックに燃え上がる帆船の美しさ。

荘厳にそびえる廃墟。

僧侶たちの祈祷が響く中、死にゆく少女たちの裸体を満ち潮が覆っていくラストも、じつに切ない。