「百合」の代名詞としてオタク・カルチャー史にその名を刻むライトノベル・シリーズ『マリみて』が、ブームの真っただ中だった頃に制作されたTVアニメ。

ソフトの第1巻は『第1話 波乱の姉妹宣言』『第2話 胸騒ぎの連弾』『第3話 月とロザリオ』の計3話を収録。原作第1巻の内容を三分割して映像化する形となっている。

ミッション系のお嬢様学校という浮世離れした原作のシチュエーションは、ともすれば敷居の高い作品になりがちなところだ。そこで作者は、【福沢祐巳】という庶民的なキャラクターを主人公に据えた。家柄も成績もルックスも、いたって平凡。なにか特技があるわけでもない。それでも【祐巳】は、正真正銘のお嬢様である「グラン・スール(姉)」の【小笠原祥子】に憧れ、ドジを踏んだり空回りしたりしながらも、「プティ・スール(妹)」としてひたむきに寄り沿う。

そんな【祐巳】の、(下世話にならないていどに)親しみやすい性格によって、『マリみて』の世界観は“雰囲気モノ”に留まらない地に足の着いたものとなっている。

それをアニメとして再現することを試みた本作は、見たところ、とりあえず原作の筋書きをなぞってはいる。少なくとも、原作付きの映像化作品によくありがちな「原作の世界観を無視している」という批判は当てはまらないだろう。

しかし、文字通りにただ“なぞっている”だけ。上述した原作の本当の面白さまでは引き継がれていないのだ。

全体を通して、妙にお上品ぶった緩慢なテンポで進んでいく。おまけにオープニング・テーマおよびエンディング・テーマも、よくNHKの教育ドラマとかで使われるような地味で古臭いインスト曲で、ただでさえ弛緩したテンションをいっそう盛り下げる。

結果、ストーリー展開のスピード感を殺しているので、笑うべきところで笑うことができない。コメディにとって、それは致命傷だ。

「笑いどころ」をいちいち言葉で説明するのは野暮だが、アニメ版『マリみて』の問題点を考察するのに欠かせないところなので、とりあえず列挙してみよう。

まず、激昂して部屋を出た【祥子】が、扉の前に立っていた【祐巳】をむりやりスールにしようとする件。原作では、その強引な展開が笑いを誘う。

しかし、何を考えたのかこのアニメの脚本家は、ストーリー・ラインを組む上で、祥子が扉を開ける前と開けた後の展開を分断し、バラバラに配置してしまった。これでは、このエピソードのインパクトが台無しである。

その後に続く【祥子】と「薔薇さま」トリオのやり取りも、平坦きわまりない退屈なもので、ちっともハラハラドキドキさせてくれない。だいたいこのアニメ版の【祥子】は、ただオシトヤカなだけで、原作の近寄りがたい気位の高さが感じられない。だから「横暴ですわ! お姉様たちの意地悪!」という、【祥子】のキャラクターを一言で物語る名台詞が死んでしまった。

【祥子】の声を充てているのはベテランの伊藤美紀なので、演技力には問題ないはずだ。となれば、やはり監督の指導でそうなったということになる。猛省を促したい。

加えて、それを見守る【祐巳】の「百面相」も、このキャラクターを印象付ける重要な要素だというのに、クローズ・アップすらせずにあっさりと流してしまう。だから、そんな【祐巳】をからかう「白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)」こと【佐藤聖】の台詞も、ほとんど意味をなさなくなる。

他方、舞台の練習中に、【祐巳】が一人で踊る【祥子】に見とれるシーンは、演出があまりにも大袈裟で、間抜けな印象すら受ける。たしかに原作にはそういう件もあるのだが、文字で読むのと画で見るのとでは大違いのはず。カットしろとは言わないが、あえてもっと淡白に演出すべきだったのではないか。

あと、間抜けといえば、【祐巳】と【祥子】が音楽室のピアノで連弾するシーン。【祐巳】にいちいち「わぁ、祥子様と連弾だぁ」なんて言わせる必要はない。いちおう、これも原作どおりなのだが、映像作品として表現する以上、そういった感情は、キャラクターの表情や、それこそピアノの音色で表現すればいい。言葉で表してしまうと、いかにもわざとらしい感じがしてしまう。

あえて好意的に捉えるなら、原作のドタバタ感とは一味違った、優雅な雰囲気を前面に押し出していると解釈できないこともない。が、その意味でも中途半端なのだ。なにげない日常会話のシーンでも、わざわざ「ワタクシ」という不自然な一人称を使わせるところからして(原作にそのような指定はない)、作り物っぽさが鼻につく。

このような仕上がりのアニメでも、原作を愛する私は「あの名シーンをどのように再現しているんだろう?」という好奇心のみで見続けたが、第1巻からしてこんな調子では続巻にも期待できず、その後を追うことはなかった。

せめて、原作を読んだことのないアニメ・ファンが「なんだ、『マリみて』って有名だけど実際はこんなもんか」などと早合点しないことを願うばかりである。