富江最終章考

『富江 最終章 ~禁断の果実~』作品データ|柘榴ノ杜

・作品タイトル 富江 最終章 ~禁断の果実~ (英題『TOMIE : Forbidden Fruit』) ・概要 製作 大映 アートポート 配給 大映 初上映日 2002年6月29日@銀座シネパトス(東京) 上映館 銀座シネパトス(東京)/KBCシネマ(九州)/テアトル梅田(大阪)/シネマスコーレ(名古屋) 公式ホームページ http:/www.daiei.tokuma.com/TOMIE ※すで […]

富江最終章考 補遺:『富江 最終章』は「ホラー映画」として“正しい”か?|柘榴ノ杜

『富江 最終章 ~禁断の果実~』が「ホラー映画」であることは、まぎれもない事実だ。 美少女の頭が鉈でかち割られたり、美少女の生首が喋ったり、美少女の胴体が芋虫のような姿に変形したり、美少女の死体を氷漬けにしたり……『富江 最終章』には、観る人によってはおぞましい、気味の悪いシーンがたくさん出てくる。 むしろ、生真面目なくらい“まっとうな”ホラー映画である。 もっとも、けっして身も凍るような恐怖を前 […]

富江最終章考 補遺:『富江 最終章』のレズビアニズム|柘榴ノ杜

さて、『富江 最終章 ~禁断の果実~』の“オチ”をご覧になって、貴方はどう思われただろうか。 「なんだ、けっきょく【富江】が最後に選んだのは【和彦】だったのか。でも《ロリータとレズビアン》を売りにしている以上は、やっぱり【登美恵】と結ばれてほしかったな」と感じる人がいるのは無理もないことだ。 たしかに、フィクションにおいてレズビアニズムは、しばしば《異性愛の代用》という描き方をされる。ようするに思 […]

富江最終章考 補遺:「心中説」について|柘榴ノ杜

【登美恵】が【富江】との逃避行の果てに、ホテルの屋上に登る件に関しては、【登美恵】は“心中”しようとしていたわけではなく、ただ厄介な【富江】を捨てたかっただけという皮相な見方をする人もいる。 しかし、ただ【富江】を捨てるだけなら、わざわざホテルの屋上まで登る必要なんてない。バッグに入れたままゴミ箱にぶちこめばいいだけの話である。 それに、部外者が勝手に屋上に侵入したら、警備員に見つかる危険だってあ […]

富江最終章考 補遺:特撮のクオリティについて|柘榴ノ杜

和彦によって切り刻まれた【富江】は、生首だけの姿となっても、まだ生きていた。 そんな【富江】を、登美恵は廃屋にかくまい、育てようとする。 やがて、【富江】の首からは胴体が生え、胎児くらいの大きさにまで育っていった。安藤希の整った顔立ちと、異様に小さい胴体とのアンバランスは、(表現は悪いけれども)さながら奇形児のようだ。 このシーンの特撮は、かつて『うずまき』や『首吊り気球』の実写版を担当した、小田 […]

富江最終章考 補遺:【富江】がコーヒーを飲むシーンについて|柘榴ノ杜

【富江】は、【登美恵】の初恋の人であるとともに、作家を志す【登美恵】の書いた小説を読んだ、初めての読者でもあった。 「じゃあ、初めての読者に、コーヒー淹れて」 嬉しそうに応じる【登美恵】。ベッドに寝そべって読み耽る【富江】に、【登美恵】はコーヒーを差し出す。 ちなみにこのシーンでは、寝そべる【富江】を足の方から上に向かって接写していくという、官能的なカメラ・ワークが楽しめる。【富江】を演じる安藤希 […]

富江最終章考 補遺:安藤希の演技について|柘榴ノ杜

世間の頑迷な性規範に囚われることなく、悪びれることなく二股をかけ、さらには「親子どんぶり」までも美味しくいただく。本能の赴くまま生きる、タフで先進的な女性――『富江最終章考:ロリータとレズビアン(5)』の中で【富江】の人物造形を端的に言い表したものである。 そして、そのようなファム・ファタール的なキャラクターを華奢で清楚なイメージの安藤希が演じるというギャップ。 この意外な、しかし絶妙なキャスティ […]

富江最終章考 補遺:【富江】の超能力について|柘榴ノ杜

殺されても殺されても甦る【富江】は、人智を超えた存在、すなわち「悪魔」である。 もっとも、魔法を使ったり何かに化けたりといったことはできない。物語終盤で、イジメられっ子の【登美恵】と戦って耳を切り落とされてしまったのを見るかぎり、戦闘能力も低いと思われる。 とはいえ、ある種の超能力はもっているようだ。 不自由な体となり、廃屋に匿われている頃、学校で【登美恵】をイジメている3人組の一人に見つかってし […]

富江最終章考 補遺:【富江】が「永遠の処女」であること|柘榴ノ杜

『富江 最終章 ~禁断の果実~』の監督・中原俊は、過去にレズビアン・ポルノの名作『猫のように』を手掛けたことで知られるが、そこをいくと『富江 最終章』に女優の裸や濡れ場はいっさい登場しない。 露悪的な趣向が持て囃されるホラー映画において、ある意味“清く正しい”プラトニック・ラブを追求することは、表現として軟弱と見なされてしまう。マニアたちがこの映画を酷評する理由はそこにある。 だがレズビアンをポル […]

富江最終章考 補遺:原作者・伊藤潤二が語る『富江』|柘榴ノ杜

ホラー漫画家・伊藤潤二を評する言葉といえば「天才」「鬼才」「孤高」などが挙げられるだろう。 私はそれらに異議を唱える者ではない。だが、そうした賛辞がかならずしも伊藤作品の“無謬性”を意味しないことは指摘しておかなければならない。 否、むしろ伊藤は《欠点を個性に変える作家》と言える。 『富江』単行本あとがきより引用(朝日ソノラマ 249ページ): ところで富江の細胞が増殖して、その個体数が増えるとい […]

富江最終章考 補遺:『アンとマリーの物語』|柘榴ノ杜

『富江 最終章』において、特筆すべき演出は多々あるが、その中でも印象的なのは、小説家を志す【登美恵】の作品『アンとマリーの物語』(正式なタイトルは不明)を劇中の随所に挿入することで、【登美恵】が現実と妄想の境界線を踏み外していく様が、より効果的に描かれていることである。 あの【富江】でさえ認めた【登美恵】の文才であるが、残念ながら劇中では断片的に引用されているだけなので、その全容を知ることはできな […]

富江最終章考 補遺:『富江 最終章』のユーモア|柘榴ノ杜

伊藤潤二のホラー漫画に、ある種のユーモアが内在していることは、熱心なファンの間で常々指摘されてきたことだ。 伊藤作品が「ギャグ漫画」として読めるという意味ではない。 ギャグとユーモアは違う。腹を抱えて笑うようなものではなく、どこか人を食った軽妙な雰囲気を醸し出しているということだ。 ただ陰惨なだけのスプラッターではなく、そこに“可笑しさ”を取り入れることで、伊藤作品は一筋縄ではいかない、複雑な魅力 […]